2013-01-01から1年間の記事一覧

天草における初期キリスト教布教史8

1−3.寺沢領から天草・島原の乱へ 1600〜1638寺沢領となるキリシタンの擁護者であった小西行長は、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで敗死した。その所領の天草は、初め加藤清正に、ついで唐津城主・寺沢志摩守広高(1563-1633)に宛行われることとなったが…

天草における初期キリスト教布教史7

第2に、天草コレジオは、西洋人による日本語研究の成果がはじめて本格的に出版された場でもあった。キリシタン時代の日本人にとって、はじめて出会う西洋の言語や学術を理解することが困難であったのと同様に、当時来日した西洋人にとっても、日本人の話す言…

天草における初期キリスト教布教史6

とくに天草のコレジオとキリシタン版(天草本と呼ばれる)が果たした役割と意義については、以下の2点を挙げることができよう。まず第1に、天草コレジオは、日本ではじめて西洋科学(自然哲学)が本格的に教授された場であった、ということである。戦難を避…

天草における初期キリスト教布教史5

天草のコレジオとキリシタン版 コレジオは、イエズス会が次世代の日本布教を担う司祭(神父)や修道士を養成するために設置した高等教育機関で、天正9年(1581)に豊後府内(現・大分県大分市)に創設された後、各地の戦乱等を避ける形で、山口、生月(長崎…

天草における初期キリスト教布教史4

1−2.小西行長の入国とコレジオの活動 1589〜1600 天正天草合戦(1589年)と小西行長の入国天正17年(1589)に起こった天正の天草合戦は、その頃天下統一を推し進めていた豊臣秀吉に対して、天草五人衆が反抗して立ち上がったものである。その鎮圧には、秀…

天草における初期キリスト教布教史3

レジデンシアと信仰の広がり この時期の天草で成立した重要な布教施設にレジデンシア(住院)がある。これはイエズス会が布教地の各所に設けた、宣教師が定住できる施設のことで、周辺に付属の聖堂や教会を持つことで、ミサを挙げたり秘蹟を授けたりする場を…

天草における初期キリスト教布教史2

羊角湾への伝来ほどなくして、天草五人衆のうち羊角湾奥の河内浦を居城とする天草氏も交易を望み、その結果、永禄12年(1569)、イエズス会のルイス・デ・アルメイダ(Luis de Almeida, 1525?-1583)による布教が開始された。アルメイダは、当時九州各地を巡…

天草における初期キリスト教布教史1

ご縁があって、天草四郎を輩出した天草のキリシタン史について書かせて頂くことになったので、随時公開してゆく。 より大きな地図で 天草キリシタン地図 を表示はじめに天草下島の羊角湾口に位置する崎津・今富地区と、湾奧の河内浦(現・河浦地区)は、キリ…

展示会など50-57−2013年02-03月

50<<オランダ通詞中山家の人びと−日本と西洋のはざまで>>@シーボルト記念館(長崎市) 紹介サイト:http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/siebold/66kikakuten.htm51<<エキゾチックジャパンへの旅>>@長崎歴史文化博物館 http://www.nmhc.jp/exot…

展示会など48・49−2013年01月

48<<大原美術館展>>@熊本県立美術館49<<藩校時習館物語>>@同上http://www.museum.pref.kumamoto.jp/event/kikaku/20130109-0324_jisyukan/index.html

展示会など47−2013年1月

47<<常設展>>@横井小楠記念館・四時軒(熊本市)http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?type=A&id=64

2012年について

明日から本格的に仕事を再開するので、昨年末は忙しくてできなかった2012年という年の自分なりの総括(仕事中心)をする。1)転職 新しい仕事への対応にひたすら苦闘した1年だった。連日授業の準備にてんてこ舞いで、特に前期は研究をする時間など皆無で、…