2013-04-01から1ヶ月間の記事一覧

Japanese Association for Renaissance Studies(JARS)仮HP立ち上げ

科研費共同研究計画(基盤 B) 『西欧ルネサンスの世界性と日本におけるキリシタンの世紀』 Renaissance Culture and Japan’s Christian Century, 1550-1650 (代表者・根占献一 学習院女子大学教授・ルネサンス研究会代表)を母体として、世界に目を向けた…

天草における初期キリスト教布教史19

2−7.その他 その他、「祝別された蝋」や「十字架が出現した樹木の小片」が信仰の対象となっていたことや、金曜日に肉を食べない習慣についての記録がある。 [1609、1610年度年報「天草島の志岐、上津浦、粼津のレジデンシア」] これらのレジデンシアに…

シーボルト記念館『鳴滝紀要』第23号

ご恵贈頂いたので、目次を紹介させて頂きます(論考のみ)。 野村正雄「シーボルトは富士山などを何時どのように測高したか」 1野藤妙・石山禎一・宮崎克則「門人たちの染料に関する3つのオランダ語論文の翻刻と翻訳−ブランデンシュタイン家所蔵とボッホム…

天草における初期キリスト教布教史18

2−6.聖水 宣教師の記録からは、天草のキリシタンたちがさまざまな機会に聖水を利用していたことが窺える。 [1596年の年報「志岐のレジデンシアについて」] 悪魔はある迷信的な呪術の後に、或る女に当然乗り移った。しかし彼女がひどい苦痛のため鋭い叫…

天草における初期キリスト教布教史17

2−5.漁の神潜伏期の崎津キリシタンは、デウスを漁の神として奉じ、魚肉やタイラギ・アワビ等の貝類を捧げていた。キリシタン時代においても、天草の漁民らがキリシタン信仰と漁の成功との間に関連性を見出していたことを示す記録が見られる。 [1596年の…

天草における初期キリスト教布教史16

2−4.葬儀についてhttp://www.city.amakusa.kumamoto.jp/bunkazai/pub/detail.asp?c_id=151&id=16&kbnmst=0&shumst=1&ckimst=0 キリシタン時代の天草では、信徒が亡くなった際、教会の香部屋係がその埋葬に携わっていた。そうした人々の存在は、現存するキ…