天草における初期キリスト教布教史17
2−5.漁の神
潜伏期の崎津キリシタンは、デウスを漁の神として奉じ、魚肉やタイラギ・アワビ等の貝類を捧げていた。キリシタン時代においても、天草の漁民らがキリシタン信仰と漁の成功との間に関連性を見出していたことを示す記録が見られる。
[1596年の年報「志岐のレジデンシアについて」]
既述の漁夫たちは貧しくて、また本性が素朴であるため諸祝日にも漁をする習慣であった。このことについて彼らは忠告を受けた時、家計の貧しさのためにそれをやめなかった。それが(祝日には)まったく魚が獲れなかったのに、平日には他に見られぬほどの大漁であったので、これが理由で彼らは以前より信心深くなり、また諸祝日を祝うことにはいっそう信仰を篤くした*1。
[1625年の年報「天草のレジデンシアと肥後地方の宣教」]
天草の漁師等は捕鯨で有利な多量の現金収入があったが、なに一つ獲物がなくて一月を過ごしていた時、管区長のパーデレがその地方の住民に送ったフランシスコ・ザビエルの像を持ってパーデレが来たので、漁民たちはその神父の元に集まってきた。漁師等の悩んだ顔を見て、その原因を尋ねたので、その訳を訴えた。パーデレは聖人の画像のもとに彼等を導き、聖人を讃えるための祈りを5回、同じ回数だけアヴァ・マリアを唱えた後に漁場に行くように勧めたところ驚くほどの大漁であった*2。
*1:Hay (1605), p. 413[松田ほか(1987-1998)、第I期第2巻、167頁].
*2:Lettere annue del Giappone degl'anni MDCVXXV, MDCXXVI, MDCXXVII al molto Reu. in Christo p. Mutio Vitelleschi preposito Generale della Compagnia de Giesu, Roma: Francesco Corbelleti, 1632, pp. 53-54[今村(1990)、199頁].